Perfil de raizo届きますように!  暴力的に激励系!! 癒しのそ...BlogListas Ferramentas Ajuda

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28 de dezembro

想う。。。。

 
 
 
 
気持ちの真ん中なのか、片隅なのか
 
 
いつもそこにあなたが居る。
 
 
 
何年経っても、そこに居るあなたの場所はあなたのもので
 
 
時にそこが 『ズキン』 と痛い。
 
 
 
誰の事も裏切るつもりは無いけれど
 
 
いつもそこにあなたが居る。
 
 
 
 
 
 
逢いたいな。
 
 
 
 
会いたいのではなく
 
 
 
 
逢いたいな。
 
 
 
 
 
 
逢いたいな。
 
 
 
 
あなたに、もう一度だけ
 
 
 
 
逢いたいな。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
26 de dezembro

アホ共! と言いたくなる。。。

 
 
 
国旗掲揚 国歌斉唱 を反対している職員達。 俺は別に右翼でも左翼でもないけれど、反対している職員達に問い詰めたい!
 
反対している理由を問い詰めて、反対する理由を理解したい。
 
 
『子供達に強制できない。』 そう聞いた事があったけれど、反対する者が居るからこそ、強制感を強く感じるようになるのではないだろうか。
 
俺も学生の時、音楽の教科書の一番初めか終わりのページに 『君が代』 のページがあったけれど、一度も習わなかったし聞いた事も無かった。
 
 
俺が思うに、教える立場である以上は、いかなる時も中立でなければならないと思う。
 
『善悪を教える』 事は、確かに教育という観点から大事な事だけれど、 なかには子供達自身で答えを導き出させなければならない事もあると思う。
 
 
 
日本人であるかぎり、日本の旗、国歌くらい誇りに思うまではいかなくても、受け入れるべきだと思う。
 
 
『卒業式で起立せず、座ったままの教師が居た。』 などの記事を見て、
 
 
俺は、『その座ったままのアホ教師共が、子供達に教育をしていいのか?資格はあるのか?』

そう思わずには居られない。
 
 
 
教師は、勉強だけを教えればいい! だけれど、それプラス、『人』 を 人生経験から子供達に説いていく事も大事だと思う。
だけれど、それは、『先生はこうだったな~』 程度でいいのだと思う。
 
後は、それを聞いた子供達がどう理解していくかなのだと思う。
 
 
 
 
先生も人間。 それは当たり前の事であって、 教師達を擁護する為のものではない。
 
 
先生が決め付けてしまった事を、子供に教え込み、 何が独創的な子供が出来るのか。。。。。。
 
 
 
教師というものの役目は、大まかな事を中立的に教え、子供達にそれぞれから答えを導く手助けをする事こそ大事だと思う。
 
 
生徒が興味を持てば、そこで初めて自分の見識を話せばいいのではないだろうか。
 
 
 
 
国家を教えない、歌わない、 国旗を揚げさせない、 卒業式、入学式で起立しない。
 
そんな教師が、生徒に対し、『駄目だ!』 というのだから、俺からすれば馬鹿らしくて腹が立ってしまう。
 
 
 
児童猥褻 って言葉も頻繁に耳に目に飛び込んでくる。
 
 
今度、Webで 『児童猥褻』 で検索してみると、教育関係者達の事件をまとめたものがある。
 
 
俺は、教育という大事な枠組みの中で、
 
『その教師一人の考えを、子供達が知らずの内に教え込む事こそ、一番危険なのではないだろか。』 そう考えてしまう。
 
 
 
 
例えば、ある教師が、クラスの一人の親から、 『子供をお願いします。』 と お金を積まれていたとして、その親の子供がクラスの子供に殴られたとして、
 
 
『この子は殴るな! 親から私はお金を貰っているのだから!』 と 言いますか?
 
 
『人を怪我させてはいけない! いくら喧嘩でも、相手に手を上げてはいけない!』 そう教えると思いませんか?
 
 
 
人に物事を教える時、大事なのは中立的な立場で教える事こそ大事。 それ以上に、その教師の価値観を織り込めば、それは教育ではなくて、洗脳の一歩手前になるのではないだろうか?
 
 
 
 
そんなに、日本の旗が嫌なのなら、国歌が嫌なのなら、国籍を捨てればいいのではないだろうか。
 
アホ共! 日本から出て行きなさい!!
 
 
 
 
そんな教育課程を受けていく内に、 『この会社は駄目だ!』 とかってくだらない事を漏らすだけの、アホサラリーマンが生まれてきたのではないだろうか。
 
 
確かに、駄目な会社は存在する。
 
だけれど、会社の悪口は言い放題で、いっこうに転職しようとしない。 転職を勧めれば、『今更大変だから。。。』 という馬鹿が居る。
 
 
 
人の、事の、物のせいにする人間は、いつも決まって、口だけなんだ。
 
 
 
その会社が、社長が駄目なのならば、辞めてしまえばいい。
 
 
だけれど、やめて転職をしたとしても、同じセリフを繰り返すだろうけれど。。。。。。
 
 
 
 
民主主義だからこそ 『反対』 が出来るのも事実。
 
 
だけれど、『良くしたいが為の反対』 と 『そうでないただの反対』 それくらい、大人として理解すべきだし、自分を正す事こそ 『大人である』 というものだと思う。
 
 
 
 
 
俺は、俺の見解を相手に言う。
 
 
だけれど、それは教育ではなくて、話し相手にとっての引き出しの一つに過ぎないと思っている。
 
 
 
俺の子供も、もう少しすれば、義務教育が始まる。
 
中立的な立場から、教育をし、娘達が自分の価値観を独自で作っていけるような場が 教育に生かされる事を願いたい。
 
 
 
子供と向かい合う時こそ、 『人間』 として存在すればいい。
 
 
授業中に 機械的に物事を行うのではなく、 対人として、教育の場ではたって欲しいのだ。
 
 
釈明の時に、 『教師も人間だ。』 と言い訳するのではなく、 生徒の前でそれを実証すればいいのだと思う。
 
 
 
 
中立的観点で教科書と世の中を捉える事が出来て、初めて教師と言えるのではないだろうか。。。。。。
 
 
 
 
 
 
25 de dezembro

僕一人だけのクリスマス。。。。

 
 
 
 
 

『サンタさん、居ると思う?』 そう女の子から訪ねられ

『見た事ないけれど、居ると思うよ!』 そう答えた私。

『そうだよね!居るよね!』 安心顔で走り去っていく女の子。
 

私の記憶の中のクリスマス。

正直少ない。
 
幼稚園の時、園長先生がサンタの格好をして、『ホ~ホ~ホ~』 と遊戯室に入って来た。

大きな白い袋を肩にかけ、片手を振りながら入って来た。
 
『あぁ!!園長先生だ~!』 と 叫ぶ男の子が居たのを覚えている。
 
その時、サンタさんが配ってくれたのは、小さな1ホールのクリスマスケーキ。
味は覚えてないけれど、走って家に帰って独りで食べた。(笑)
 

私は、クリスマスが12月24日だとハッキリと知ったのは、小学5年生くらいでした。
 
我が家では、クリスマスといえば、12月24日の夜にケーキを食べるくらいで、その日の近い日曜日に、玩具をかって貰いに行ってた。
 
サンタがプレゼントをくれるのではなくて、両親が玩具を買ってくれていた。

だから、クリスマスって何日にあるのか別に興味は無かった。

興味があるとすれば、クリスマス時期に必ず入っている、新聞の広告。。。。
 
私は、 『この家にはサンタさんは来ない。だって、父ちゃん母ちゃんが居るから。』 そう思っていた。
 
『サンタさんは、お金が無い家と、両親が居ない子供の所にだけ行くんだ。』 そう思っていたから、サンタさんが居ると思っていた。
 

だけれど、小学5年生のクリスマス前の、女の子の質問を聞いて、『もしかして。。。』 そう思った。
 
私は家に帰り、机の前に座り手紙を書きました。
 
 
 
 

『サンタさんへ』

サンタさん、友達に手紙を枕元に置いて寝ると、サンタさんが来てくれるって聞いたので、手紙を書きました。
僕は父ちゃんと母ちゃんが居るし、来てくれるか分からないけれど、来て下さい。
プレゼントは父ちゃんが買ってくれたから、何もいりません。
今日、友達に「サンタさんは居るよ。」 と言いましたが、僕の所には来た事が無いから、嘘を言いました。
だから来て下さい。
寝ていたら分からないから、手紙を持って帰ってください。
                                                 ○○○○ より
 
 
 
 
 
 
 
そう書いた手紙を枕元に置いて、その夜は眠ったのです。

私は子供の頃から眠りが浅く、寝ている時の周りの声がよく聞こえていました。

その夜は、父は仲間と呑みに行っていて、部屋に入るなり、母が、『あんた、これ読んでみ。』 そう話しているのが聞こえました。

暫くすると、父の足音が私に近付き、私の枕元に何かを置く音がしたのです。
 

私は、その瞬間、とても嬉しく感じた事がありました。

『僕にはサンタさんは要らないんだ!』  そう思ったからです。
 
翌朝、目が覚め枕元を見てみると、大きなソックスの中に寿司折が入っていました。
 
今考えれば、笑い話ですが、本当に嬉しかったです。
 

その日、友達に、『僕の所にもサンタさんが来てくれたよ!』 と言うと、

女の子も嬉しそうに、『私の所にも来たよ!』 と笑顔で言いました。
 

サンタクロースは居るのかどうかは知りませんが、子供の心の中には居て欲しいものです。

私は少し変わった解釈だと思われるでしょうけれど、あの時ハッキリと分かった事があります。
 
それは、サンタクロースって存在は、両親が子供を思う時の心にも居るって言う事です。
 
だからこそ、サンタを信じる子供にはサンタは必ずやってくるのです。
 

私は、サンタを信じています。
私には来ませんでしたが、 私の娘達にプレゼントを届けてくれるサンタが居る事を知っているからです。
 
今朝、愛美の枕元に、綺麗にラッピングされたプレゼントが届いていました。
 
 
 
tokumi 雷蔵  
H18.12.25
21 de dezembro

花咲く街に。。。

 
 
 
 
君達は今、寒さの中に身を置き
 
やがて来るだろう 花の季節を歩くでしょう。
 
 
それぞれ違った、花咲く道を歩くんです
 
ぼやぼやするんじゃない! 太陽の声が聞こえます
 
 
 
出会い花咲くこの街に
 
それよりも早く訪れる
 
それぞれの旅立ちが待ってる
 
 
 
決して言わないでしょう さよなら!それで終われない
 
さよならまた今度!果たされない約束でしょうか
 
 
 
出会い花咲くこの街に
 
長く居過ぎたのでしょう
 
さあここから 独りじゃないんだ
 
 
 
そこに座ってた 詰らない曇った僕
 
今の僕の姿 眩しくて 見えないでしょ
 
 
 
 
笑顔で見送るよ さっき見送ってくれた
 
昨日までの友は明日からも僕の友
 
 
 
出会い花咲くこの街に
 
今まで笑いあった仲間
 
互いに大人になってまた集おう
 
 
 
そこに座ってた 詰らない曇った僕
 
今の僕の姿 眩しくて 見えないでしょ
 
 
 
 
 
 

それよりも。。。

 
 
 
 
優しい言葉が溢れているよりも、
 
 
 
叱咤激励の言葉に、背中を押されている方がいい。
 
 
 
 
色んな予定を詰め込むよりも、
 
 
 
ただただ歩いて、景色を傍観していたい。
 
 
 
 
流れに乗って行くよりも、
 
 
 
意に沿うのなら、逆流を上って行きたい。
 
 
 
 
 
欲を欲と終わらせるよりも、
 
 
 
『熱望である!』 そう信じていたい。
 
 
 
 
 
逃げるのは怖い事だけれど、
 
 
 
いったん後退する勇気を持っていたい。
 
 
 
 
『歳をとろう!』
 
 
 
肉体は衰えるだろうけれど、
 
 
 
それに見合う何かを手に入れながら。
 
 
 
 
『歳をとろう!』
 
 
 
どうせ片道切符なんだから、
 
 
 
格好悪くても格好よく生きていたい。
 
 
 
 
 
 
 
19 de dezembro

届きますように!!

 
 
 
 
 
 
 
お~い! 笑顔を忘れてるんじゃない?
 
 
 
 
 
 
 
お~い! 何を見失ったの?
 
 
 
 
 
 
お~い! 探し物をしてるからって、下を見ているから、頭を打つんだよ!
 
 
 
 
 
 
お~い! 笑顔を作ってみろよ!
 
 
 
 
 
何かが見付かるかも知れないから!
 
 
 
 
 
 
( ̄▼ ̄*)ニヤッ
 
 
 
 
 
じゃなくて、
 
 
 
 
 
( ´,_ゝ`)プッ
 
 
 
 
でもなくて
 
 
 
 
 ^-^ 
 
 
 
 
ってね!
 
 
 
 
 
 
 
・・・((((( ^-)_∠※ 心に花をどうぞ。。。
18 de dezembro

シババな書き物

 

人に傷付けられ、それでも尚、人を傷付けた。

人に泣かされ、それでも尚、人を泣かせた。
 
悲しい経験は繰り返し行われ、その都度成長をしてゆく。
 
『同じ過ち』 そう表現するのだけれど、同じなのは結果だけである事を忘れてはいけない。
 
もっと大事なのは、結果を悩むのではなく、途中経過を思い起こし、どう推移してその結果に繋がったのかを理解する事なのだ。
 
それが出来たのであれば、 『同じ過ち』 として、簡単に決着は付けられないのだ。
 
『簡単に決着をつけた覚えはない!』 そう言いたいのであれば、私は言い返します。
 
『じゃあどうして、同じ過ちを犯したの?』 ってね! 

過ちを犯して、あなたは何をしていますか?
 
ただ悲しんでいるだけでは駄目なのではないですか?
 
結果を悩み、今後を考えるよりも、原因と結果の間にあった物事を整理すれば、違った答えが出てきませんか?
 
悲観的になってしまっていては、『繰り返してしまった。』 と思うだけでしょう。
 
結果を悩む頭があるのなら、勿体無いから視点を変えて頭を使いなさい。
 
結果など、 『良かった』 『悪かった』 の2つに1つなのです。
 

結果が同じでも当たり前じゃないですか?
 

悩むくらいなら、成長をしなさい。
 
 
それこそが、傷つけた相手に対しての誠意ではないでしょうか?
 
失ったモノに対しての代償ではないでしょうか?
 
 
グジグジしている時間は無いのです。
 

詰らぬ悲劇役者になっているだけでは、バチが当るんですよ!
 

掴みなさい! そして導いて下さい!
 
 
新しい答えを!
 
 

from 柴犬シババ

対峙する要素

 
 
 
『よい食材』 と 『よい調理人』
 
 
『よい美食家』 と 『よい料理』
 
 
 
この4点が合わさった時、
 
 
 
 
『おいしゅうございます。』 
 
 
 
と、深々と頭を下げるおばさんが発生する。
 
 
 
 
 
だけれど、その おいしゅうございます は、誰にも伝わらない。
 
 
 
 
 
目の前に出された、ある程度の物を美味しく食べる事こそが
 
 
 
 
『おいしゅうございます』
 
 
 
だと思う。
 
 
 
 
 
肉一切れにせよ、金額で騙されるような舌を持つよりも
 
 
 
安かろうと、自分の舌にあった物こそ、美味しいと表現できる人こそが美食家なのだ。
 
 
 
 
 
 
 
15 de dezembro

おめでとう! 言ったけれど。。。。

 
 
 
 
 
『おめでとう!』
 
 
そう言ったけれど、心の底から喜んでるの?
 
 
自分自身に尋ねてる。
 
 
 
『分からない。なんだか複雑な感じ。。。。』
 
 
そう曖昧な返事が自分の中からかえってきた。
 
 
 
 
『結婚する!』 
 
 
そう告げられて、
 
 
『おめでとう!』
 
 
そうかえし。
 
 
 
『大丈夫なのか?』
 
 
そう要らぬ心配をしてしまう。
 
 
 
 
二人は子供のままで結婚をして、結婚をすれば大人になると思っているのかな?
 
 
 
それとも、自分達はしっかりしていると思っているのかな?
 
 
 
俺も偉そうな事は言えないけれど、なんだか心配でならない。
 
 
 
『これも一種のオッサン化だな。』
 
 
 
そう考えるようにしている自分が、虚しいほどに笑えてくる。
 
 
 
 
 
俺は、二人が大好きだ!
 
 
旦那になる奴の顔は知らないけれど、俺の大事な妹分が選んだ男。
 
 
 
 
大事な相手のそのまた相手は、大事な相手以上に大事な存在。
 
 
 
だからこそ、頑張って欲しい。
 
 
 
 
結婚をする事に対して、『おめでとう!』 って言葉はなかった。
 
 
 
一つの区切りとしての、新たなスタートラインにたった事に対しての 『おめでとう』 でもなかった。
 
 
 
 
だけれど、いっぱいの気持ちを込めての 『おめでとう』 だった。
 
 
 
 
結婚をする事が嬉しいんじゃないんだよ。
 
 
 
認め、認められた事が嬉しかった。
 
 
 
 
 
俺の大事な妹へ
 
 
 
 
どうか頑張って、幸せに気付いて下さい。
 
 
 
どうかいつまでも、幸せに気付き続けて下さい。
 
 
 
 
どうせ君達二人には、この書き物は読まれないでしょう。
 
 
 
 
俺は、あなた達の未来が素晴らしいものである事を、これまでも、これから先も願っていますから! 
 
 
 
 
 
俺は、ここに居ますが、そっちにも居ます。
 
 
 
君達はそっちに居ますが、ここにも居ますよ。
 
 
 
 
沢山の幸せを掘り出して下さい。
 
 
 
 
頑張れよ!
 
 
 
 
 
toku兄
14 de dezembro

ディープ ストラクチャー

 
 
俺の趣味の一つは 『ルアー釣り』 です。
一時、猫も杓子もってくらいに、ブラックバスを釣るのが流行っていましたが、今となっては池に釣りに行っても貸し切り状態です。
 
 
あの頃の人達はどこに行ったのでしょうか。。。。。
 
 
 
俺も、2年間ほどブランクがあり、今年何を思ったのか再びその趣味に火が付きました。
 
 
 
俺は、2年前にアルミボートを購入したのですが、面白い事にアルミボートを買ったと同時に釣りに行く気が起こらなくなり、高い買い物はただただ雨水に晒すだけの代物になっていたんです。
 
 
今年の9月頃は、高校の時の同級生にたまたま会い、今でもバス釣りをしている事を知り、『今度一緒に行ってみる?』 という話になって行き始めた。
 
以前は、右を見ても左を見ても、バス釣りファンは居ましたが、今ではまるで 『天然記念物』 くらい絶滅の危機に直面しています。(^▽^*)あはは
 
 
 
バス釣りの面白い所は、 えさ釣りのように投げて待っておくって戦法は使えません。
 
『居そうな所に投げる』 っていうのが第一条件です。
 
 
バスがいそうな所とは、石がゴロゴロあって根がかりしそうな場所や、倒れた木が水没しているような、これまた針が引っ掛かってしまいそうな場所が多いのです。
 
 
魚は何もない所で悠々と泳いでおらず、どちらかと言うと、物陰に隠れているんです。
 
 
要するに、『引っ掛かりそうな所が釣れる場所』 って事になるのです。
 
俺もバス釣りを始めた頃は、ルアー代が馬鹿になりませんでした。 新しいルアーを5個買っても、少なくとも3個は回収不可能になるからです。
 
 
ルアーも色んな金額のものがあるけれど、平均すると、一個が大体¥900-くらいします。
 
 
今でこそ、回収不可能になるケースは減りましたが、かなりの金額を湖底に預けている格好です。
 
 
 
それと、最近になって再びバス釣りがマイブームになったかと言うと、釣りをしている最中は、頭の中にある仕事の事が無くなるからです。
 
 
最近、俺が行っている釣りの方法は、池の底でルアーを動かせるやり方の釣りをしているのです。
 
 
池の底は勿論、目では見えません。 だから見えない池の底の隠蔽物を探すには、釣り糸から伝わる振動と、釣り竿の跳ね返り、糸の出 、の3つが頼りなのです。
 
 
底にある石にルアーが当ると、わずかに ココッ!! と手応えがあります。 これが木だと、 コンッ!! 枝だと、 ツゥッ って感じます。
 
 
そんな手応えを感じながら、頭の中では湖底の絵が出来上がってくるのです。  まさにイメージの世界です。
 
 
まさに集中力と想像の世界で脳みそは満タンになる。 だから仕事の事がなくなるんです。
 
 
 
俺は、同時に2つ以上の事をやっています。 だけれど、この手の釣りだけは、釣りだけで手一杯になるんです。
 
 
 
どんなに悩んでも、出てこない答えも、一度その悩みを忘れる事が出来た時、思い出した瞬間に解決策が見える事があります。
 
 
 
 
ディープストラクチャー  湖底の物影。。。。。    
 
 
 
釣りで話をしましたが、相手との対話も同じなんです。 手探りで感じ、相手をイメージする。
 
そうする事で、相手の胸の内にある影を掴むのです。
 
 
その影をつついてみれば、その人の気持ちを引く事が出来るんです。
 
 
物陰を見付けても、そこに居る魚が好む動きを、ルアーに与えなければ食い付きません。
 
 
 
人も、心の影を触られるだけでは、食い付かないのです。 
 
その影に、どんな言葉を投じるか、どんなアクションを与えるかが鍵になるんです。
 
 
 
こう考えると、釣りも対話も精通していると言えます。
 
 
 
 
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
 
 
 
 
極端だ。。。。。。
 
 
 
 
13 de dezembro

鏡の中に問いかける。。。。

 
 
 
 
 
 
 
自分に対して優しい人は 人からの優しさを思いやりを見落としてしまう。
 
 
 
 
自分に対して厳しい人は 相手の真意と優しさを気付きくでしょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
一生懸命に頑張っていれば 周りの事が気にならなくなるでしょう。
 
 
 
 
周りに神経がいってしまう時 自分に対する甘さだという事も忘れてはいけない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
自分に自信が持てないのは他でもない 逃げである事を忘れてはいけない。
 
 
 
 
『自分は駄目だ』 
 
 
 
 
それで全てに形をつけようとしているだけなのだから。
 
 
 
 
 
 
 
どんなに頑張っても出来ない事もあるでしょう。
 
 
 
 
見切りを付ける事も大事です。
 
 
 
 
 
 
自分の欠点を補うよりも 自分の利点を伸ばせば たちまち欠点を補う事もあるのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
だけれど 私は考えます。
 
 
 
自分以外が関わる事は駄目でも 自分以外が関わらない事は 頑張れば叶うだろう。
 
 
 
 
 
 
 
諦めず頑張って 見切りを付けて諦める。
 
 
 
 
 
 
見切りを付けるには 人から見て少しシツコイくらいでいいでしょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
12 de dezembro

釈迦の掌。。。。。

 
 
 
 
僕達は生きている。
当たり前だけれど、全然当たり前な事などないのだ。
 
 
世界の片隅で生き、そのせいぜい直径50Km圏内を右往左往し、直線的にそれ以上の行動範囲を持っているに過ぎない。
 
 
どんな人でも目にはみえないテリトリーがあって、人によってはそのテリトリーは日本国内外に点在している。
 
 
要は、どんなに行動派な人であろうと、テリトリーというものは面で言えば、直径50km以内でしょう。
 
 
昔、孫悟空という物語を読んだ時、今回のタイトル通りの編があった。
 
 
孫悟空が、どんなに遠くに早く飛んでも、それは釈迦の掌から逃げられていないというものでした。
 
 
 
『釈迦の掌』 タイトルは大袈裟だけれど、そんなに大した事は書いていないので、気楽に時間があったら読んで下さい。
 
 
 
 
 

 
                      『釈迦の掌』
 
 
 
 
何気ない日々に、両親が出会い、きっと素敵な日々を送って僕らを身篭った。
 
大事に僕達は育てられ、そのお陰で個人としての人格を持つようになるまで育てられ、何の理解も出来ない内に、そんな両親を嫌悪し反抗を繰り返した。
 
 
いつの間にか一丁前に恋愛なんかをして、それでも尚、相手の事なんて見えず、自分の想いのみを尊重していた。
 
 
数多くの恋愛と、沢山恋愛相手と過ごした時間から、ある程度のものを学び、何かを掴んだと錯覚し、『愛』 というとても大きな言葉を発し始める。
 
 
相手を好きだという気持ちが先行している時はまだ良い。
 
だけれど、思春期に、相手の体への興味と憧れの気持ちが強くなり、やがてはそれを求めはじめ、与えられれば次からその事ばかりが支配し始める。
 
 
 
SEXをするという事は、やがて儀式的なものとなり、それをするという事は憧れから誇りに変わり、やがて当然の如く、互いの感情を無視し始める。
 
 
 
『相手の事を好きになる』  たった一行の言葉を理解するまでに、私自身、かなりの時間と犠牲者を出したような気がする。
 
 
 
 
 
 
私は、嫁さんと出会ったのは24歳の時。  それまでに色んな女性と付き合った。
 
 
結婚してからも、学生時代の恋愛の話を聞かれたりする事があるし、互いに笑い話になっている部分もある。
 
 
私達は、広島県の中にある福山市って所に互に住んでいた。
 
全く接点の無かった二人なのだけれど、私達の周りの人々の中で、沢山の共通の知人が居る事に気付かされ続けている。
 
 
 
一昨日の夜、ある女性の話から、私が中学の時に付き合った事のある女性の妹が、嫁の高校から短大まで同じクラスだった事を知った。
 
 
その女の子は、とても大人しくて清楚なお嬢様風な子で、私が高校に行き始め、その子を発見するなり 大声でその子を呼んでは顔が真っ赤になるのを面白がっていた。
 
その事を彼女はお姉さんにチクリ、私は彼女に怒られた思い出があった。
 
 
 
この時、付き合っていた人は、私と釣り合いが取れないくらいの勉強においてもスポーツにおいても万能な人でした。
 
高校も、同じ中学からは1人しか受からなかった高校に入り、それに対して私の方は、公立とはいえ県内一番お馬鹿な高校に通っていた。
 
 
実際に、中学の勉強を始めたのは、中三の夏休みの少し前くらい。 3年分を半年で詰め込んだのだから、高校を入学してから後の事を担任が考えてくれたらしく、入学後も学力で困らないようにと、お馬鹿な学校を勧めてくれたのだ。
 
 
 
今思えば、その時に付き合っていた女性こそが、私にとって生涯で一番の女性だったと思う。 だけれど、相手にとって私は足かせにしかならなかっただろうと思う。
 
 
先日書いたブログの中に登場した、放課後に一緒に残ってくれていた女性です。
 
 
 
 
 
そんな彼女との別れの原因は、お馬鹿学校ならではの理由でした。
 
 
友達に、このクラスで一番可愛い子は誰? という質問を受け、私は 『○○さんかな?』 と軽く答えた。
 
それを聞いた私の友達は、その女の子の家の電話番号を聞き、親切にもその夜に電話をして、私が好きだと言い、付き合ってやってくれ! とお願いしたのだった。
 
 
 
次の日に、その事を報告受け、私の思考は全て止まってしまった。
 
 
『俺には彼女が居るんだぞ!』  そう言うと困ったのは友達だったが、本当に困ったのは私だった。
 
 
 
互いに高校も違うし、学力も全く歯が立たない。 そんな彼女に私は劣等感を感じていたし、会える時が短過ぎた。
 
そんな想いから、彼女と別れるという選択をしてしまった。 今思えば、本当に馬鹿だったと思う。 だけれど、当時の私には最善の策だと思っていた。
 
 
 
『別に好きな人が出来たから、別れて欲しい。。。』 そういい電話をきったのだけれど、『別に好きな人』 って言ってみても、好きでも何でもない人だった。
 
 
『私と○○は付き合っている』  ただの言葉だけの付き合いだったので、2ヶ月もしない内に別れました。
 
 
その新しい彼女は、歳を重ねる事に不細工になっていきました。( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \  ( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
 
 
その子は当時、クラスで一番可愛かったのですが、その子と嫁さんは、一度職場が一緒だったらしく、
 
 
『あの人のどこが綺麗なん?』 と言われてしまいました。
 
 
色んな恋愛を経て、違う彼女が出来ました。
 
 
その女性は、俺の知らない所で嫁さんとクラスメートでした。 しかも、同じグループだけれど、一番仲が悪かったそうな。。。。。
 
 
嫁とクラスメートだった頃に付き合っていて、 『この女の彼氏ってどんな奴だろうか?』 と思っていたらしかった。
 
 
その女の子と花火を見に行った時、他のクラスメートとばったり会った事がありました。 私は普通に挨拶をすると、彼女達は 私の事を印象よく思ってくれていたらしく、尚更、 嫁さんからすれば、『どんな奴だ?』 と考えていたらしい。
 
 
 
 
 
こんなに、接点はあったのだけれど、嫁さんと出会うのは、それから4年後の事になるのだ。
 
 
 
 
嫁と出会って、嫁さんのアルバムを捲っていくと、その彼女が。。。。。。 私は冷や汗をかいたのを覚えています。
 
 
私が彼女と付き合った事がある事を知り、何度も 『最悪~』 と言われました。 ( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
 
 
 
他にも性別を問わず、俺の知人と接点を沢山持っていたのです。
 
 
 
私は以前、 ある鑑定士に、 『前世であなたは毒殺されました。』 と言われた事がありました。 それに続けて、『あなたは凄い縁を持って居ます。』 と続き、
『前世であなたを慕っていた者達も、現在転生しています。』 と言われた。
 
 
私の犠牲により、沢山の人々が救われたらしく、その恩を返す為に私を追って来たのだと言われました。
 
 
勿論、信じるわけもありませんが、 『感謝の念』 という観点で見ると、 とても大きくあり難いものだと思います。
 
 
 
私には残念ながら、私の視界に広がる世界しか解りませんが、 私と嫁さんとの関係のように、私が知らない所で、私に携わる事をしている人達が居るのです。
 
 
今は全くの他人でも、明日出会う人は私自身の過去を繋げる人であるかも知れないのです。
 
 
 
色んな場所で過ごして居たのですが、嫁と出会い話をしていく中で、 実に身近な人だった事を知ったのです。
 
 
 
『世間は狭いね~』 と笑い話になるけれど、結局は一個の人間。 
 
 
 
その一個の人間の出会いとは、物語とは、 想像以上に色んな人が加わるハリウッド映画よりもスケールのでかいものなのです。
 
 
 
人は 『惹き合う』 と言います。
 
 
 
今日、すれ違った人々の中で、今後の私達を大きく動かすような人が居るかも知れないのです。
 
 
 
『神様』 という 存在があったとして、それを信じなくても、その大きな存在の前に私達は動いていると感じた時、 対象のない『感謝の念』 が湧いてきます。
 
 
 
『神はどこに居るのか?』 それは己自身の中に存在するものだと思うのです。
 
 
 
『嬉しい』 そう思った時、 空の向こう側に存在しているように思うのです。
 
 
 
私達は、自らを神の掌の中に存在させているのです。
 
 
 
『釈迦の掌』  それはつまり、 自分自身が関係付けていった過去の結果であり、思考回路が引っ付け会わせた糸のようなものなのでしょう。
 
 
 
 
誰もがどこかで因果関係を持っていて、探り寄せると交わっている場合があるのだと思うと、とても不思議で出会いという事柄をとても素敵な事なのだと思うでしょう。
 
 
 
 
だからこそ言えるのでしょうね!
 
 
私達が出会ったのは、何か特別な大きな存在が、タイミングを計ってくれて、よい状態で出会わせてくれたのかな? って!
 
 
 
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
 
 
 
結果論ですが。。。。。。。
 
 
 
 
 
 
どうか、心に花を!
 
 
 
 
11 de dezembro

交わりあい、磨かれる。

 

切り捨てようとするのが男性で、ずるずる引いちゃうのも男性。
あっさり捨てるのも男性で、捨てた事を後悔するのも男性。
 

すがり付くのは女性の方で、きりを付けちゃうのも女性。
泣いてしまうのは女性の方で、スッキリしてしまうのも女性。
 

『あわよくば』 そう思って連絡するのは男性の方で

『なんとも思ってないよ』 そう言うのは女性の方。
 
 
度胸の無いのは男性の方で
 
肝が据わっているのは女性の方。
 
 
優しいのは女性の方で
 

思いやるのは男性の方。
 
 

得意不得意あるけれど、2種類で補えば、それはたちまち一つになる。
 
 

どちらが男性で、片方が女性である必要は無い。
 
 
だけれどきっと、2つが1つになる時は、必ず凸凹がかみあうんだ。
 

身体だけ交わるのであれば容易い事なんだ。
 
 
精神面で、行動面で補い合い、認め合い、尊重し合えるのであれば、角が立つことなく交われる。
 
 
例え角立つ二人でも、やがて川の石のように、削れら磨かれてしっくりとしてくるもの。
 

大事なのは、相手の方ばかりを削り取ろうとするのではなくて、2つをはめ合わせた後に馴染まない部分を削る事が出来ればいいのだ。
 
 

男と女、解り合おうとする事も大事だろうけれど、自分を補える存在として捉えればどうだろうか?
 
 

二つが補い合い、しっかり結びついたなら、新しい命を受け入れた時、二つのパーツは更に強化される。
 

どんなに好き合っていても、互いに尊重し合える間柄にならなければ、あっという間に藻屑となるでしょう。
 
 

 
08 de dezembro

おっさん化現象か?。。。。

 
 
 
 先日、FNS歌謡祭ってTVをチラ見した。
 
 『この歌、知ってる!!』 と、邦楽に疎い俺は、知っている歌がTVで聴けると嬉しくなってしまう。
 
 だけれど、○○○○年 って下に書いてあるのをみて、思わず計算している自分が居て、しかもショックな事に気付いた。
 
 『この歌、よく聴いたな~』 とか 『歌いまくったな~』 とか 『好きだったな~』 とかの後に、『この前まで』 って続くのだけれど、
 
 その 『この前まで』 ってのが、10年以上、もしくは10年前の事になっているのだ。。。。。。
 
 
 って事は。。。。。。 俺が十代の子と、カラオケに行ったら。。。。。。
 
 
 俺も社会人一年目の時、30代の先輩が居たのだけれど、その人が歌う歌って、演歌が多かった。。。それを見て、『オッサン?』 って感じていた。
 
 
 流石に俺は演歌は歌わなけれど、俺が歌うとよく、『誰?』 と聞かれる。。。。。
 
 
 18歳の子とカラオケに行ったとして、俺が高校の時に聞いていた歌を歌ったのであれば、少なくて15年前。。。。
 
 
 ということは、その子が3歳の時の歌になってしまう。。。。。。。。・ili・. _| ̄|○ .・ili・  知るわけが無い。。。。
 
 
 曲の作りも、今のものと比べれば違っているし、その子達からすれば、『演歌のような類』 になっているのではないだろうか。。。。。
 
 
 
 ライブをすれば、10代の子、20代そこそこの子が、『CDを貸してくれ』 と言ってくる。
 
 そのCDは既にどこの店にも置いていないのだ! ガーン!!
 
 
 最近買ったCDは、レミオロメンとバンプ & デフテク くらいのもので、後は10年近く前のものが殆ど。。。。。・ili・. _| ̄|○ .・ili・  いかん。。。。
 
 
 B'zの 『憂いのジプシー』 って曲があるのだけれど、 俺が必ず歌いたくなる曲なのだけれど、 B'zは知ってても曲は知らない。。。。
 
 ティー ボランなんて歌った日には。。。。。。 かび臭くて、自分が惨めになってくる。。。。
 
 ハンドドッグ 。。。。。。 ・ili・. _| ̄|○ .・ili・  ありえん!
 
 
 
  『only love』 を歌って許されたのは、 亀田兄弟のどれかくらい。。。。。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 オッサン化 & おばさん化 のバロメーターは
 
 
 
 
 
 『この前』 が 10年以上前のだと気づいた時!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『自分は若い!』
 
 
 
 
 
 
と、自分で言う、もしくは考えている時!!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『30代には見えない~』
 
 
 
 
って言われて、嬉しく感じるようになった時!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
・ili・. _| ̄|○ .・ili・ 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
残念ですが、オッサン化です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
逃げれません!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
おばさん化です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
おしまい
07 de dezembro

少し笑い話。。。。

 
 
 
昨日、いつものバーに行ってみると、顔見知りの女の子がカウンターで俯いていた。
 
『眠いのか?』 そう思うだけで、席を一つ空けてその子の左側に座った。
 
 
『ビール! あっそれとギター貸して!』 そう言いタバコに火を付けて、何気に女の子を覗いて見た。
 
 
違う事は分かったけれど、 『眠いの?』 とワザとらしく聞いた。
 
 
彼女はカウンターで両手枕にしたまま首を振っている。
 
 
ビールが来て、ギターを手渡され、いつものように弾いていた。
 
カウンターの向こうの友達は、今日は直ぐには俺の前には来ず、彼女の前で様子を伺っていた。
 
 
今度このバーでお披露目する曲を歌って、友達に意見を聞いた。
 
『お!いいじゃん!!』 と 半ば信用できない調子のいい笑顔が返ってきた。
 
 
俯いたままの彼女にも聞いてみた。
 
 
『もう一回歌ってみて。 聞いてなかった。。。』 そう言われた。
 
 
短気な俺の胸中は穏やかではなかったけれど (笑) もう一度歌ってみた。
 
 
コードがあまりにも難しかったので、勝手にコードを変えた、バンプの『同じドアをくぐれたら』 でした。
 
 
話はそれるけれど、バンプってaddとか訳の分からないコードが多すぎ!! ヽ(`Д´)ノ  指がおかしくなっちゃう!!
 
 
 
 
 
手に入れる為に捨てるんだ 揺らした天秤が掲げた方を  こんなに簡単な選択にいつまでも迷う事はない
 
 
 
振り返らないで 悔やまないで 怖がらないで どうか元気で 僕は歌うよ歩きながら いつまで君に届くかな
 
 
 
その涙と引き換えに その記憶と引き換えに この歌と引き換えにして僕らは行ける
 
 
 
 
この曲の詩はまだ覚えてないから、覚えている部分だけを書きました。
 
 
自分の好きな部分の詩を繋ぎ合わせて、短めにして歌いました。
 
 
彼女の表情で、失恋か何かの悩みだと分かり安心をして、カウンターの向こうの友達を呼んで、いつものように呑みながら話をする事にしました。
 
 
俺と友達と二人で盛り上がっていると、彼女は空いてる席に移って、話に入ってきました。
 
 
 
『何があったの?』 そう尋ねるまでも無く 向こうから話をしてきました。
 
友達も、聞いても何も言ってこないので困っていたらしく、氾濫した川のように話し出した彼女に唖然としていました。
 
 
内容は覚えていないけれど、表情がどんどん明るくなっていく彼女の顔に安心しました。
 
 
話すだけ話すと、 『お腹が減った』 と言い出す始末。。。。。
 
 
バーを早めに閉まって、ラーメンを食べに行く事にしました。
 
 
 
悩んでいる時は、お腹が減らない分、楽になった時、急にお腹が減る。
 
 
 
そんなものだ。。。。。 そう思い、思わず笑ってしまった。
 
 
悩んでいたって、傍で楽しそうに話をしていれば加わりたくなる。
 
帰ってしまう子も居るだろうけれど。。。。。。
 
 
悩んでいて、顔見知りの店に行くのは、『寂しいから』 なんだよね!
 
 
悩みを聞いてあげるよりも、盛り上がって、その雰囲気の中でその相手の胸にある毒を抜いてやる。 それが大事なのだと思う。
 
 
明るい雰囲気の中で、毒を上手に抜いてあげる事が出来れば、治りも早いし、帰って一人になってもぐじぐじさせなくて済む。
 
 
 
今回のブログは、本当に日記だな。。。。。。
 
 
 
 
申し訳ない。。。
06 de dezembro

夢持つ者達へ。。。。

 
 
 
 
開き直って、自らの欠点を指摘されるのを恐れて、自ら口にする時、『言わないでね!』 と思っているでしょう。
 
 
 
『分かってるから、言わないで。。。。』 そう聞こえてきそう。
 
 
 
弱音を吐いたり、開き直ったり、言い訳したりして、何かを何かのせいにしている。
 
 
 
だけれど、本人は分かってる。
 
 
 
だから、本人は自己嫌悪になってしまうんだ。
 
 
 
 
『中途半端』
 
 
 
 
 
何かを決め、決断した時の気持ちを絶対に忘れないで欲しいです。
 
 
 
たとえ叶わなかったとしても、結果を知るまでは、叶う事を考えておけばいいのです。
 
 
 
変な事を悩むのはやめて、 なりたい自分を考えればいいのです。
 
 
 
一つずつが出来ないのに、あれもこれも考えるから集中できないのです。
 
 
 
自分を信じなさい。
 
 
たとえ無理でも、結果として駄目でも、 結果を見るまで頑張りなさい。
 
 
 
 
きっと、満足は出来ないでしょう。
 
 
 
だけれど、今後の自分に気付かせる何かを掴むはずです。
 
 
 
 
俺は信じます。
 
 
 
 
必ずやりきってくれる事を!!
 
 
 
 
強がれ!
 
きっと弱気な自分が傍で笑ってるでしょう。
 
だけれど、強がれ! だからこそ、強がれ!
 
 
『なにくそ!』
 
そう思う自分を呼び覚ませ!
 
 
もがけ!必死にもがけ!
 
 
 
誰にどう思われようと気にするな!
 
 
 
なにくそ精神でやっちゃいな!
 
 
 
俺はどうであろうと、必死でももがいている奴を 『格好悪い』 なんて思いはしない。
 
 
 
お前はお前のゴールだけを見ていればいい!
 
 
 
望むも望まぬも、そのゴールきった時に考えればいい。
 
 
 
だけれど、ゴールを切ったら、直ぐに次のゴールを目指しなさい
 
 
 
 
自分を高めろ!!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
05 de dezembro

どう思うだろうか。。。。

 
 
 
 
『しょうも無い。。。』
 
 
 
そう言った時、確かに 『つまらない』 と感じている。
 
 
 
だけれど、時に寂しくも辛くも感じる場合がある。
 
 
 
 
本当は羨ましいと思ってしまった時に、何かを自分に言い聞かせるように口にしたりする。
 
 
 
 
そんな時は、心の底から、自分自身をしょうも無く感じてしまっている。
 
 
 
 
 
つまらないのは、誰でもなく何でもなく
 
 
 
自分自身なのだ。
 
 
 
 
 
 
 
04 de dezembro

もしも。。。。

 
 
 
 
 
最近、滞り無く鼻水をすすってる。。。。
 
 
風邪でも無いのに、鼻水が気になる。。。。
 
 
 
 
これはきっと、鼻の穴の乾燥を防ぐ為に、口から出た湿気を鼻が吸い込んで、即座に湿気として取り入れているからだろう!
 
 
 
 
そう考えると、宇宙の神秘を感じてしまう。。。。。
 
 
 
 
俺の鼻と、湿気のハーモニー ♪
 
 
 
 
( ̄○ ̄;)! あっ! だから、健康な犬は、鼻が濡れてるんだ!!!
 
 
 
 
 
 
 
物知り博士は 何でも理解しまくり!
 
 
 
 
 
 
ほとばしりまくり!!
 
 
 
 
 
 
おしまい