Perfil de raizo届きますように!  暴力的に激励系!! 癒しのそ...BlogListas Ferramentas Ajuda

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29 de março

頭の片隅に。。。。

 
 
 
誰かの事をけなす時、自分の事をけなしているのと同じなのです。
 
友達の悪口、恋人の悪口、夫婦の悪口。
 
どれもこれも、そのまま自分に返ってくるのです。
 
友達の悪口を言えば、そんな友と付き合っている自分の評価が下がるわけだし、恋人の悪口も、その人と付き合っているのは自分なのだから。。。。
 
 
元 って言葉が付く相手でも、同じ事。
 
 
悪口を言ってスッキリする事なんて、ほんの一時しのぎ。
 
 
相手を敬う気持ちがなくなれば、その分、自分が貧しくなるのだという事を、頭の隅において下さい。
 
 
相手を悪く言うのは簡単です。
 
相手を褒める事は、難しいけれど自分の為には大事な事なのです。
 
 
感謝の気持ちを減らす事無く居る事は、自分自身の為なのです。
 
 
 
 
20 de março

傍においで。。。。

 
 
傍においで。
 
噛み付きはしないから。
 
傍においで。
 
温もりを感じよう。
 
傍においで。
 
優しい顔をするから。
 
傍においで。
 
守ってあげるから。
 
 
無邪気で今は居て欲しい。
 
無邪気な笑顔を見せてくれ。
 
 
この世の愛を、あなたに贈ろう。
 
 
傍においで。
 
抱き締めたいから。
 
傍においで。
 
君が僕の全て。
 
 
 
 
 
19 de março

シツケと枠。。。。

今回のタイトル、 『シツケ』 そして、 『枠』 これは、俺の持論だけれど、読んだ人が少しでも何かを感じて貰えると嬉しく思うので書く事にしました。
 
 
 
 
 
先週の火曜日に、嫁が帰って来た。 
どれくらい反省しているのか見えては来ないけれど、彼女なりに反省しているようだ。
上の娘は安心したのか、直ぐに体調を崩し、下の娘は、やっと落ち着きを見せ始めた。
 
どちらにせよ、一番の被害者は、何の罪のない子供達だった。
 
 
向こうの実家では、上の娘が素手で食べるという事を、『恥ずかしい』とか表現していた。
 
上の娘がなぜ素手で食べるようになったのか、娘の気持ちも考えないで表現したのだろう。
 
確かに、素手で食べている子供を、レストランとかに連れて行くのは恥ずかしい事かも知れないが、本当に恥ずかしいのは、それを当たり前だと考える親達であって、その子供自身の行為が恥なのではない。
 
それを、注意してやめさせる事は、今の娘には難しい事なのです。
なぜかと言うと、 妹に対してのヤキモチだからです。
 
その上、服を汚されないようにしてきた、周りの責任でもあるのです。
 
まだ2歳の娘は、箸やフォークやスプーンを使って食事をしますが、残りが少なくなれば、使いにくくなり、素手を出すのです。
どうすれば、残りが少なく、すくい難い物をすくう事が出来るかを教えなければ、素手で食べても仕方が無いことなのです。
 
 
 
最近、 怒る事が、叱ることが、注意する事が シツケだとする人が多いです。
確かに、シツケの中には、それらの行為があるけれど、それらをシツケだと勘違いしている馬鹿が多いようです。
 
子供というのは、生まれて直ぐに道徳や、世の中のルールを知っている訳ではありません。
だから、それらを周りの人を、経験を通して覚えていくのだと思います。
 
勿論、箸の使い方もシツケの一貫でしょうが、俺にとっては詰らない事のように思うのです。
 
 
2歳の子供が、箸を使わない。。。。。 もしも上手に使えるのであれば自慢になるけれど、上手に使えなくても興味を持っている事を褒める事こそシツケだと思うのです。
 
最近の、シツケをする時間を多く有する母親達と話してみても、『それはシツケじゃなくて、あなたの都合でしょう?』 と言ってしまう事が多々ある。
 
子供の頃から、失敗する前に親達が手を出し、しかも怒り口調で子供に命令する。。。。。 これはシツケではなくて、枠を与えてしまっているに過ぎないことだと思うのです。
 
勿論、刃物を触りそうになれば、俺でも怒るけれど、勿論これはシツケでは無くて、注意になるのです。
 
 
 
確かに、小学校になっても箸が使えないのは恥だけれど、俺にとってのシツケとは、 子供に対する 『甘やかし』 ではなくて、『情』 だと思う。
 
悪い事をすれば怒ればいいけれど、 褒める事が大事だと思う。
 
部屋を汚せば、掃除が大変だろうけれど、服を汚せば洗濯が大変だろうけれど、それよりも、子供の心が曲がってしまう方が、大変だと思う。
 
 
シツケとは、行儀良くする事ではなく、 子供の心を育てる事だと思う。
 
俺達両親が、子供に教える事の出来る事なんて、本当に僅かなのです。
 
素直で、喜びを伝える事の出来る子供に育てられれば、その子供は沢山の人からモノを教わるでしょう。
 
 
子供のシツケに、子供を怒っている人が居るけれど、 その人自身、本当に子供に教える立場に立てる人なのか、考えてみると面白いですよ!
 
 
 
子供から学ぶ事も多いでしょう。
 
なぜなら、子供は両親の背中を見て育っているのだから、 子供をシツケる前に、親達が沢山を学ばなければならないのではないでしょうか?
 
 
親の顔色を伺うような子供を育ててはいけないと思います。
 
何でも感でも手出し口出しする親になってはいけないと思います。
 
 
 
沢山の人から、好意的に見て貰える子供に育てる事こそ、俺はシツケだと思うのです。
 
 
ある程度、物事が分かるようになって、叱ったり怒ったりしても遅くは無いのです。
 
 
しっかりと、子供に愛情を与えればいいのです。
 
 
ただし、公共の場では、話が違うことくらい分かりますよね! (笑)
 
 
行儀を教える事よりも、 親達自身が見本になればいいのです。
 
自分の都合で、子供達に枠を与える事がシツケではないという事を、しっかり認識しなくてはならないのだと思います。
 
 
 
 
 
 
 
14 de março

そう言うのであれば。。。。

 
 
 
強い人に成りたいのであれば、自信が持てる人に成りなさい。
 
 
 
自信を持てる人に成りたいのであれば、責任を果たせる人に成りなさい。
 
 
 
責任を果たせる人に成りたいのであれば、粘り強い人に成りなさい。
 
 
 
粘り強い人に成りたいのであれば、弱音をはかない人に成りなさい。
 
 
 
弱音をはかない人に成りたいのであれば、周りが見える人に成りなさい。
 
 
 
周りが見える人に成りたいのであれば、沢山の目上の人と話をしてもらえる人に成りなさい。
 
 
 
沢山の目上の人と、話をしてもらえる人に成りたいのであれば、素直な気持ちを持つ人に成りなさい。
 
 
 
素直な気持ちを持ち続ける人に成りたいのであれば、原寸大の自分を表現しなさい。
 
 
 
優しい人に成りなさい。
 
 
 
優しい人に成りたいのであれば、強い人に成りなさい。
 
 
 
強さとは、力ではありません。
 
 
自分の可能性を信じる事なのです。
 
 
可能性を信じたいなら、理屈抜きで頑張りなさい!
 
 
自分をかえりみ、相手をとがめず。
 
 
 
失敗も成功も、全てはその者に委ねられるという事を、忘れない事が肝心なのです。
 
 
 
 
 
 
 
12 de março

そんな事を言えるのであれば。。。。。

 
 
もしも、自分を立派に見せたいのであれば、自分の感情を殺してでも、気持ちをコントロールし、態度にも顔にも出さないよう心掛けるべきなのです。
 
『辛いから、やる気が出ない。』 そういう気持ちは、十分理解できます。
 
だけれど、そんな事が通用してはいけないのです。
 
普段通りにしようと、頑張っても、どうしても顔に態度に出るでしょう。
 
だからこそ、頑張らなくてはならないのです。
 
どんなに辛くても、悲しくても、腹が立っても、 自分自身の責任を果たそうとするべきなのです。
 
 
辛いのに、機嫌が悪いのに、笑っていなければならないと言っているのではありません。
 
流れを自分の都合や、気持ちで止めてはならないのです。
 
 
どんな理由があろうとも、流れを止めたのは、止めた者のせいなのです。
 
 
『あの人が悪いから、私の気持ちが沈んで、やる気が起こらないから、やらない。。。。』 
そんなセリフを 大人だと思っている人が言っても恥ずかしくないのですか?
 
 
自分がどうであろうと、流れを止めるわけにも、他に支障をきたしてもいけないのです。
 
 
どんなに頑張っても、誤魔化しきれない気持ちもあるでしょう。
 
そんな時に、誰も何も言ってくれない。 手を貸してくれない。。。。。 そう思うなら。
 
 
 
普段から努力が足りないという事なのです。
 
 
 
理由がどうであろうと、流れを止めるという事は、止めた者の責任である事を忘れてはならないのです。
 
 
『何の為に、自分が存在するのか。。。。』 そんな、馬鹿な事を考える暇があるのであれば、目の前に広がる、自分の責任を果たす為に頭を使い、時間を使うべきなのです。
 
 
誰かの責任にしたところで、何も始まらないし、何も起こらないのです。
 
 
もし、得られるモノがあったとしても、 蓋を開ければ、ただのゴミです。
 
 
 
 
 
07 de março

遠くの空の下。。。。

 
 
 
 
 
遠くの空が、真っ赤な光でまばたきしている。
 
僕は、『奇麗だね!』 って喜んで眺めてた。
 
 
だけれど、その空の下では、涙も枯れていた。
 
悲痛な叫び声と、聞いた事も無いような悲しみの声があがっていた。
 
 
僕は何にも知らない。
 
僕は何も分かってはいない。
 
 
 
 
 
06 de março

なんだっけな?

 
 
人の優しさってなんだっけな?
 
人の心ってなんだっけな?
 
肌の温もりじゃない、温かさって?
 
 
言葉だけでは足りなくて
 
ジェスチャーでは伝わり難くて
 
表情さえも合わさって
 
胸の奥の方に、流れ込んでいく
 
 
届けたいのが、自分の気持ちであり
 
届くのが、誰かの気持ちなんだ。
 
 
それが、人の優しさであり、人の心なんだ。
 
 
 
 
05 de março

マダカダミヤン

 

『私の親戚にはお金持ちが多いのだろうか。』小さな頃、私はそう思っていた。

なぜなら、海外旅行に行く人が多かったからだ。

 

話は少しずれるが、当時の私は、『海外!』そう!外国を、『ガイ国』という国があるのだと思っていた。

よくニュース番組で、司会者の後ろに大きく世界地図が貼っていたが、お子様な私は、それを恐竜の化石か何かだと思って、ワクワクしてそれを見ていた。

 少し時が経ち、日本地図を見て思ったのが、『タツノオトシゴ?』だった。

 それに加え、世界地図である事を理解できて、その中の日本を目の当たりにした時の、ショックの受けようはあまりにでかかった。

『日本は小っちぇ~!』

 

話は戻そう。

その海外に行った人が持って帰ってくる物。そう『お土産』だ。

『はい、トクちゃん、ハワイのお土産よ!』そう言って、渡されたものは、マカダミアンナッツチョコレートだった。

 だが、このベイビーには正確に理解する事が出来ず、

『はっは~ん!これがガイ国からのお土産のハワイだな!』と理解した。いや、誤解だ。

 

私はその『ハワイ』を持って、自分の布団まで戻り、早速バリバリと食い散らかした。

五分後には箱の中の3分の1は食べてしまい、その味にも飽きを感じた。

 やがて、横になっていた、お子様な私を、快楽の世界に誘ってくれた『ハワイ』に感謝しつつ眠りに落ちていった。

 

どれくらい経ってだか分からないが、どうも周りが騒がしくなり、しかも私は持ち上げられ、揺すられていた。

流石のスリーピーな私も、目を覚ますと、なにやら鼻や口の周りが、いや顔中が固まっていた。

目を擦りながら自分の枕に目を落とすと、飛び散った『ハワイ』と血で黒く汚れた枕が目に入ってきた。

『鼻血だ!』それくらいは解った。そしてまた眠った。

 

気が付くと、私を哀れそうに見下ろしている、さっき私に『ハワイ』をくれた従姉が私の目に入ってきた。

頭を撫でられて気持ちがよくなってくる。なぜなら当時の私は、この従姉の事が大好きで、『僕は○○姉ちゃんと結婚をする!』と誓っていた。

何はともあれ、これが私の、『ハワイ初体験』だった。

 

『ハワイ』今でこそ分かるが、南国のパラダイス!

なんて軽やかな響きなんだろう!『ハワイ』

とても『アロ~ハ!』だが、幼い頃の私にとっての『ハワイ』は、『鼻血』というなんとも汚い二文字に過ぎなかった。だがあの日も従姉の膝枕は忘れられない。

 

と、この前、沖縄に行って、自分で自分のお土産に『マカダミアンナッツチョコレート』を買った私は、人生について考える今日この頃である。

 

 

 

 

02 de março

想い描く事。。。。

 
 
 
大好きな人の事を、想い描いた。
 
眠れない夜が、眠れぬ想いを伝えてくれる。
 
 
 
大好きな人の事を、想い描いた。
 
眠れない夜が、寂しいだけではない事を教えてくれた。
 
 
 
大好きな人の事を、想い描いた。
 
眠れない夜が、私に笑顔を運んでくれた。
 
 
 
大好きな人の事を、想い描いた。
 
 
眠れない夜が、あなたの事を運んでくれた。